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イルコモンズ「アザーミュージック l'autre musique」講義


14人で満席になってしまうような、原宿の小さなカフェで行われた小田マサノリ(イルコモンズ)さんによる公開トークショーは、会場にかけつけてくださった若い方々の真剣なまなざしに囲まれ、さながら『アワーミュージック』の中のゴダールの講義をそのまま再現したような空間となりました。
また、さかいれいしうさんのポエトリーリーディングは、朗読と映像と音楽とが共鳴して、鳥肌が立つような感覚がありました。
そんな日曜の昼下がりに開講された特別講義が、小田さんの構成のもとここに再現されます。


採録:プレノンアッシュ/構成:イルコモンズ



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自らをも引用する作家、ゴダール


◆上映◆イルコモンズ編「映像のないサウンドトラック」(10分12秒)
映画『JLG/自画像』のサウンドトラックの音の断片をつなぎあわせたも

僕は初日に『アワーミュージック』を観に行ったのですが、それというのも、この映画の公式サイトにある「予告篇」」(*これは今回の公開のために独自に制作されたものだそうです)がすこぶる好くて、それを観て以来ずっと『アワーミュージック』を一秒でも早く観てみたいと、そう思っていたからです。もしかすると「本篇」よりも「予告篇」の方が好きかもしれない、というくらい、それはよく出来てました。「分かりやす過ぎる」という意見もあるでしょうが、「分かりやすい」と「分かる」とはまた別の話なので、予告篇としてはあれでよいと思ってます。その予告篇を観た時にひとつ思ったことがあったので、その日のブログにこんな風に書きました。自分で引用するとこうなります。


「二〇世紀、この地球上に、ゴダールの映画を観て、涙をこぼした人間が、はたしてどれだけいただろうか? 皆無、とはいわないまでも、おそらくその数はおそろしく少なかったはずだ。しかし二十一世紀、どうやら事情が変わるようだ。もしかすると、ひとは、この映画を観て、はじめて、泣くかも、ゴダールの映画で、はじめて、涙をこぼす、かも…」

ゴダールの映画というと、まずまっ先に「分かりにくい」と云われ、必ず途中で眠くなる催眠映画の代表格のように思われてますが、それがどういう風の吹き回しか、今回の『アワーミュージック』は、もしかしたら、映画館で泣きだす人が出てくるんじゃないか、と思うような作品になっていたので、ちょっと驚いたわけです。ゴダールの映画を観て人が「泣く」なんてのは、まさに前代未聞の出来事で、それだけでもう「事故」か「事件」のようなものです。そんなこともあって自分で勝手に、自作の予告篇をこしらえてみましたので、まず最初にそれをご覧ください。

◆上映◆イルコモンズ編「アワーミュージック予告篇」(50秒)
映画館で『裁かるゝジャンヌ』を観て大粒の涙をこぼすナナの顔のクローズアップ(『女と男のいる舗道』より)のカットに『アワーミュージック』の「地獄篇」の映像がモンタージュされ、上記の「二〇世紀、この地球上に、ゴダールの映画を観て…」のテキストが挿入される。やがて画面に赤い焔が現れると「映画の原理とは、光に向かい、その光で私たちの闇を照らすこと、NOTRE MUSIQUE」のタイトルが入り、
最後にビヨルンスタの『海』第7番が静かに流れて暗転)

アンナ・カリーナが泣きべそをかいてましたね。これは『女と男のいる舗道』というゴダールの映画の一場面で、アンナ・カリーナ演じるナナが映画館でカール・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』という映画を観て、その大きな瞳から大粒の涙をこぼしている場面です。『アワーミュージック』では、主人公のオルガが、ゴダールの講義を聴いたことをきっかけに「死に至る行動」を決意するのですが、その啓示というか、ひきがねになったのは、その講義のなかでゴダールが配っていたカードで、そこにはゴダールが『裁かるゝジャンヌ』から引用した台詞が書きこまれていました。「救済とは?」「それは殉教です」「勝利とは?」「私は天国に参ります」というのがそれなのですが、実はそこでは台詞だけでなく、映像も引用されていたということを、これから目に見える動く映像を使って、しかも音もつけて、ご覧にいれたいと思います。

◆上映◆イルコモンズ編「裁かれざるモンタージュ」(3分11秒)
映画『裁かるゝジャンヌ』のジャンヌの顔のクローズアップと、それを引用した『女と男のいる舗道』のナナの顔のクローズアップがリバースショットで現れるシークエンスの後、そのジャンヌのクローズアップのカットに『アワーミュージック』のオルガの顔のクローズアップのカットがモンタージュされる。審問官を上向きに見つめるジャンヌの顔と膝の上のカードに目をやるオルガの顔がゆっくりと重なりあいながら交叉した後、無言の唇の動きがシンクロして、切り返しショットを構成する。『アワーミュージック』のカラー映像とサウンドトラックが、モノクロ無声映画の中からジャンヌを現代に甦らせる。オルガが自らのうちにそれを宿らせるかのように)

ファルコネッティのこのクローズアップのショットは、映画史の中で最も美しいクローズアップのひとつとしてよく知られているものですが、いま見ていただいたように、それを見て涙を流しているアンナ・カリーナのクローズアップのショットとそれとが実は、『アワーミュージック』の講義のキーワードになっていた「コントール・シャン(仏)=切り返しショット(日)=リバースショット(英)」の関係を結んでいるのですが、その上にさらに今度はそれが、オルガのクローズアップのショットと新たな切り返しの関係を結びなおしていたというわけです。やや上向き加減のファルコネッティの顔と下向き加減のオルガの顔が静かに重なりあいながら交叉した後、唇の動きが一瞬重なるところは思わずゾッとしてしまいますし、アントナン・アルトーが演じた審問官と、めくられるカードの重なり具合も絶妙です。おそらくゴダールが考えるリバースショットの理想的なかたちというのは、こんなふうに本来なら出会うはずのないものが、映画という「地上にひとつの場所」で出会い、重なりあい、交じりあい、そして創造的な対話を行うものだと思いますが、このリバースショットについては後でもう一度くわしくお話したいと思います。

ともあれ、ゴダールの映画というのは、ご存知の通り、過去の映画や絵画や音楽や文学や哲学の自由な引用からなっていて、引用が多いのはヌーヴェルヴァーグ映画の特徴ですが、それはゴダールも含め、ヌーヴェルヴァーグの作家たちが映画の作家であると同時に映画の批評家でもあったからで、そもそも批評というのは「引用」というものなしではたちゆかないものなのです。ですので今日こうしてみなさんにお見せしているこのムービーも、あくまで批評のための引用であって、研究と教育そして表現の自由を可能にするフェア・ユースにあたるものだと、どうかご了解ください。


シリアスコメディとしてのゴダール映画

さて、今回の『アワーミュージック』にもたくさんの引用がありますが、それはこれまたよくできたこの映画の「プログラム」(定価700円)を読んでいただくとして、そのプログラムに書かれてない最大規模の引用をひとつだけあげるなら、それはジャン=リュック・ゴダールその人、つまりゴダールが自分の作品のなかに自らを引用し、(映画『映画史』のことばを使えば)映像のなかに自らのイマージュを投げこんでいるということです。実のところゴダールという作家は、『アワーミュージック』のみならず、他人や自分の映画に頻繁に出没し、映画の作品世界の中を徘徊することをやめない作家なのです。

他の作家の作品に出演したものとしては、1959年のエリック・ロメールの映画『獅子座』が有名ですし、最近ではアンヌ・マリー・ミエヴィルの『そして愛に至る』があります。かたや自分の作品では『勝手にしやがれ』や『軽蔑』がそうです。このへんからはじまって、その後も、この後上映するムービーで見るように、数多くの自作の中に登場します。その最たるものが『JLG/自画像』という、作家としての自分の日々の暮らしと創作生活をドキュメントした作品です。今日、お話をはじめる前に、ブラインドテスト風に流していたのは、その映画のサウンドトラックを編集したもので、音だけ聞くと、まるでものすごいドラマやストーリーが展開しているように聞こえますが、映画ではゴダールが自宅の書斎で本を拾い読みしたり、書きものをしたり、家のまわりを散歩をしたりしているだけのドキュメントで、この音と映像の途方もない衝突がゴダールの映画をわかりにくいものにしているのですが、衝突といえば、『アワーミュージック』の最後の方に、ゴダールが勝手知ったるはずの自宅の庭の花壇のひさしに思い切り頭をぶつけるというシーンがありました。あんな風に自分の家で頭をぶつけるのは、子供か老人ぐらいのもので、『愛の世紀』の中で「大人に出会うことは難しい」と云っていたゴダールらしいスケッチだと思いました。物語的に云えば、あの音は、オルガの天国からのノックなのかもしれないし、あるいは、オルガを見舞った銃の一撃なのかもしれませんが、「勝手に見やがれ」というのがゴダール映画の鉄則なので、そこは見た方の解釈にゆだねます。とはいえ、あの衝突が事故か故意かは、にわかに決めがたいところがあり、もしかするとアクシデントをそのまま採用したのかもしれませんが、そもそも「役者」としてのゴダールの演技力は結構あなどりがたいものがあって、その演技の幅もかなり広いので、次にそのあたりを見てみることにしましょう。これからお見せするのは、ゴダールが出演した映画作品の中からゴダールの登場シーンだけを編集したもので、いわば「ゴダールの出演映画史」のようなものです。

◆上映◆イルコモンズ編「ゴダール出演/映画史」(8分48秒)
エリック・ロメール『獅子座』でポータブル・レコードプレーヤーをいじくるゴダール。『カメラアイ』でムービーカメラをいじくるゴダール。『こことよそ』でアンプのボリュームをいじくるゴダール。『フレディビュアシュへの手紙』でミキミングボードとターンテーブルをいじくるゴダール。『カルメンという名の女』で自分が発明した「音楽カメラ(ラジカセ)」を耳にあて、それを抱きすくめるゴダール。カフェで突然手を叩いて「撮影スタート」合図を出すゴダール。最近の若者をけなし、説教をたれるゴダール。『リア王』で「年をとってしまった」と嘆いてみせるゴダール。AV用プラグを頭に挿したゴダール。おならをするゴダール。『右側に気をつけろ』で「昔はよかった」と嘆くゴダール。道化芝居を演じた後ジャンプして車に飛び乗るゴダール。飛行機のタラップから転落し、ガラガラのおもちゃで遊ぶゴダール。『JLG/自画像』でテープレコーダーをいじくるゴダール。査察官の女性のおしりをさわるゴダール。『映画史』でタイプライターをいじくるゴダール。『アワーミュージック』で頭をぶつけるゴダール。

見ていただいたように、まるで子供のようにキカイをいじくりまわすことをやめないゴダールがまずそこに見てとれます。八〇年代になると、気難しい老人のような言動がふえてきますが、と同時に、レゲェのラスタマンみたいに頭にプラグを挿すわ、車に飛び乗るわ、おならはするわ、女の人のお尻はさわるわと、まるでスラップスティック(=ドタバタ喜劇)のコメディアンのような芸風が現れてきて、「幼」と「老」のあいだを往復するトリックスター(=道化)としてのゴダールをそこに見ることができます。またゴダールは、タラップからの転落のようなアクシデント的なものや、突然のスタートの合図やおならのように唐突なものを演じるのが好きなようで、そういうふうに見ていくと、花壇のひさしに頭をぶつけるくらいのことは、ゴダールにとっては朝飯前のように思えてきませんか。

アルフレッド・ヒッチコックが自分の映画に通りすがりに出演するのは有名ですが、ゴダールのそれは、もはやそれどころではなくて、これくらい自分の映画に出てくる作家というのは、ゴダール以外ではおそらくウディ・アレンと北野武くらいではないでしょうか。そう考えると、映画『リア王』の中でゴダールが、自分の遺作の映画の最後の編集をウディ・アレンに委ねて老衰死してみせるという芝居はなかなか興味深いところがあります。また、そのウディ・アレンにしろ北野武にしろ、もともとはどちらもスラップスティックのコメディアンとしてのキャリアと資質を持っていて、おそらくゴダールにもコメディアンとしての隠れた資質があるように思えます。そんなゴダールがつくる映画には、コメディの重要な要素である「唐突」さや「支離滅裂」さが潜在的にあって、ゴダールの映画というのは本質的に、泣けばいいのか笑えばよいのか分からない、矛盾を含んだ「シリアス・コメディ」のような気がするのです。最近のいくつかのインタヴューでゴダールは、自分は「よく笑い」そして「よく泣く」とそんな風に話してるくらいですから、ゴダールの映画を見るときは、その音と映像の「唐突さ」や「ちぐはぐさ」をコメディのそれとしてうけとめ、『JLG/自画像』の中でゴダールがしてみせるように、おもしろければ「アハハ」と笑えばよいのです。『アワーミュージック』でいえば、あの花壇での衝突にはいろいろな解釈ができるとしても、まずはシンプルに笑えばよいのだと思います。道でバナナをふんで転んだ人を笑うように。そして『アワーミュージック』では、そこが、この全体的に重たく暗いトーンの映画のギリギリ最後に残された喜劇的瞬間で、この衝突の直後にこの映画の最大の悲劇のニュースがもたらされるのは、皆さんご承知の通りです。つまり、あの衝突は、その直後にくる最大の悲劇の前に置かれた一瞬の喜劇で、喜劇と悲劇の距離があまりに近すぎて、またその交代があまりに素早いので、わかりにくいのですが、この映画もまたシリアス・コメディのかたちをとっているのです。あと、これは余談ですが、ゴダールの映画に『右側に気をつけろ』というタイトルの映画がありますが、『アワーミュージック』でゴダールが頭をぶつけたのは、その右側でした。しかも頭の右側だけをぶつけたはずなのに、ゴダールはまるで絶望した人がやるみたいに、両手で頭を抱えてみせるという明らかにオーバーアクションな演技をしていました。それが即興的なものか計画的なものかはさておき、あれほど「右側に気をつけろ」と云っていたゴダールが頭の右側をぶつけ、ハムレット役者(=大根役者)のようなクサイ芝居を見せたところが実は一番のシリアスコメディであったような気がしました。さらにもっと云えば『女は女である』という映画には、アンナ・カリーナに「私のために何をしてくれるの?」と聞かれたジャン(-ポール・ベルモント)が「壁にあたまをぶつけてくるよ」と軽口で切り返すというシーンがありましたので、この「ゴツン!」は、それの引用のようにも思えますが、そもそもゴダールには、わざとヘタな失敗や見えすいた間違いをしてみせるというヘンな癖があって、これについてはまた後でお話します。


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小田 マサノリ
(イルコモンズ)

1966年生まれ。元・現代美術家、民族誌家。02年の「美術家廃業宣言」 以後は「殺すな」発起人をはじめ、イルコモンズ、美学連、T.C.D.C. として数々のアートイベントや論考をジャンルを超えて展開。現在、中央大学文学部兼任講師(文化人類学)。

おもな論考:
「見よぼくら四人称複数イルコモンズの旗」『現代思想』03年2月号
「花森安治と暮しの抵抗」『図書新聞』2636号
「さよなら落書きなき世界」『現代思想』03年10月号
「リミックスのやめどころを知る」『リノベーションスタディーズ』INAX出版
「都市ノ民族誌」『10+1』31号〜35号
「BL:タイトルなし」『インターコミュニケーション』05年春号
「びびびのねずみ男をめぐる冒険」『ユリイカ』05年9月号

おもなアートイベント:
「日本・現代・美術・沈没」(00年 水戸芸術館)
「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」(01年 ナディッフ)
「give piece a chance/ give peace a chance」(01年 横浜トリエンナーレ)
「去年、トリエンナーレで」(02年 横浜赤レンガギャラリー)
「EXPOSE2002」(02年 KPOキリンプラザ大阪)
「殺すなアンデパンダン」(03年 康ギャラリー)
「バ  ング  ント」(05年 P-HOUSE)

ブログ:
「イルコモンズのふた。」
http://illcomm.exblog.jp/

さかいれいしう

石川県生まれ.声楽家。
モノローグオペラ「新しい時代」(2000、東京、京都)主演.「ヴォイスプラントロンライブ」(2004、大阪CASO)「世界ミーム博覧会(2005名古屋能楽堂)」他様々 なアーティストと共演しつつ歌手活動を展開。
東京芸術大学先端芸術表現科非常勤講師を経て、現在はソフトウェア会社に勤務。方法マシンメンバー。
◆TVCM:大阪ガス提供番組冒頭オープニングアニメ「Design Your Energy」
◆参加CD:「routine(ポリドール)」、「エンジェルズ・ティアーズ(東芝EMI)」他

http://reisiu.i.am/

イルコモンズ編「アワーミュージック予告篇」
イルコモンズ編「裁かれざるモンタージュ」より
おならをするゴダール(映画「リア王」より)
車に飛び乗るゴダール(映画「右側に気をつけろ」より)