123456789

詩のことばを理解すること、それは…



ところで、その『アワーミュージック』のなかに、ボスニア紛争のときに破壊された橋を背にしてネイティヴ・アメリカンの正装をした三人組が亡霊のように無言で立ちつくすという、ちょっと謎めいたカットがありました。『愛の世紀』でエドガーが「新しい風景をみたとき、その新しさは自分が以前から知っているほかの風景と心のなかで比較して認識される」といっていましたが、まさにそんなふうに、僕はこのカットを見たとき、以前から知っている他のある映画のシーンを思い出しました。それは70年代にゴダールがパレスチナで撮った『ヒア&ゼア・こことよそ』という映画のなかで、イスラエルとの戦闘で廃墟になった街を背にパレスチナの少女が大きな声で詩を朗読するシーンがそれです。そこで朗読されていた詩は、レルネルのインタヴューの相手をしていたパレスチナの詩人ダーウィッシュが書いた「私は抵抗する」という詩でした。。

 

 

 

■ネイティヴ・アメリカン


#画像を拡大

『アワーミュージック』より

   

 

■画像39:パレスチナの少女


#画像を拡大

『ヒア&ゼア・こことよそ』より

 

 

それと一緒に思い出したのが、ゴダールがあるインタヴューで云っていたことで、ゴダールにいわせると、パレスチナの人たちと向かい合うことができ、本当のリバースショットになるのはこのネイティヴ・アメリカンだといいます。そこで、この『アワーミュージック』のショットと『ヒア&ゼア・こことよそ』のショットをモンタージュしたら、いったいどんなイメージが現われるのだろうと思い、他のゴダールの映画の断片も使って、ふたつをつなぎあわせてみる実験をしました。これからそれをご覧にいれますが、そのモンタージュした映像に音楽と詩をつけ加えました。音楽はベートーヴェンの弦楽四重奏曲で、これはゴダールの映画の中でこれまで何度も使われた曲です。詩はダーウィッシュが書いた「世界がだんだんとじてゆく」という詩で、それを今から声楽家のさかいれいしうさんにポエトリーリーディングしていただきますので、映像とあわせて、どうぞお聴きください(*このポエトリーリーデングについては、第4回爆裂対談「アザーミュージック」の方で詳しく話していますので、そちらもぜひご覧下さい。

 

 

「世界がだんだんとじてゆく」(原詩:マフムード・ダーウィッシュ 訳:イルコモンズ)

 世界がすみっこの方からだんだんとじてきて
 ぼくらをいよいよ最後の小道に追いつめてゆく
 ぼくらはなんとかそこを通りぬけようと
 自分の手足までもぎとったというのに
 それでも大地はぼくらを押しつぶそうとする

 いっそのことぼくらが麦だったらよかったのに
 そしたら死んでもまた生きかえることができるから
 でなければ、大地がぼくらの母さんだったらよかったのに
 そしたらきっとやさしくしてくれるだろうから
 あるいは、ぼくらが岩に描かれた絵だったなら
 鏡に映して夢のなかへ運んでゆけるのに

 ぼくらは泣いた
 あの子どもたちの祭りの日のことを思い出して

 ぼくらは見た
 最後に残された土地のひらいた窓から
 子どもたちを外にほうりなげた者たちの顔を
 ぼくらの星はその顔に鏡をつきつけるだろう

 ぼくらが世界の果てにたどりついたとき
 その先ぼくらはどこへ行けばよいのだろう?
 そして最後の空がつきはてたとき
 鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
 草木が最後の息を吐ききったとき
 どこで眠りにつけばよいのだろう?

 ぼくらはわずかな血で
 ぼくらの名前を記すだろう
 ぼくらはその翼をもぎとり、
 ぼくらの肉がうたう歌をききながら
 ついに死んでゆくだろう

 この最後に残された小道の上で
 そう ここで この土地で
 ぼくらが流した血のうえに
 ここからもあそこからも
 オリーブの樹がなるだろう

 弟が生まれたよ

 

 

 

■弟がうまれたよ


#画像を拡大

『愛の世紀』より(*一部書きこみあり)

 

ありがとうございました。今晩ここでポエトリーリーディングをやろうと思ったのは『アワーミュージック』という映画が詩の重要性を説いた映画だと思ったからです。というのも『アワーミュージック』では、主人公のオルガがイスラエルの映画館で「イスラエルの人たちが平和のために一緒に死んでくれたら嬉しいのに」と口にしたことが原因で射殺されてしまいますが、もしそこで映画館にいあわせた人たちが、このオルガの言葉をテロの言葉ではなく、詩のことばとして受けとめていたら、そうした悲劇は起こらずにすんだわけですし、その「〜が〜だったら」という構文は、いま朗読していただいたダルウィーシュの詩に通じるところがあります。そう考えたとき、いまさらながら詩の重要性というものを感じ、また「ゼロ・トレランス」と呼ばれる不寛容の時代にあってはなおのこと、他者とその詩を理解しようとすることが大切だと思い、それで今晩ここでポエトリーリーディングをやろうと思ったわけです。こんなふうにゴダールの映画というのは僕にとって、それまで思いもしなかったようなことを考えつかせ、なおかつ、こういうあらざる映像の実験にまでみちびくような、まさに思考と実験の導火線のような映画なのです。

さて、では、もう時間になりました。今晩は用意していたパソコンの不具合のために、パネルを映写できないというアクシデントがありましたが、おそらくこれは、映画の神さまが、最初にお話したあの「タブー」をやぶったバチとしてよこしたハプニングなのかもしれませんので、どうかご容赦ください。では、これで今晩のレイトトークショーをおわりにしたいと思います。レイトトークショーとはいえ、こんな夜遅くまで、どうもありがとうございました。

 

■レイトトークショー


#画像を拡大

 

123456789